福岡大学に伝わる首塚の”呪い”!留年する?その真相に迫る!
こんにちは。
ちいたべあです。
この記事はアドベントカレンダー15日目の記事として書かれています。
adventar.org
この企画もほぼ全ての日程で執筆者が埋まりました。
協力してくださってるみんなへの感謝と同時に、ブログを書く文化が身の回りに広がっていることへの喜びを感じます。
首塚の呪い
皆さんは聞いたことがあるでしょうか。
「福岡大学のバス停近くには首塚があり、そこに登ったものは留年する呪いにかかる」と。
これは大学1年生の時に先輩から聞かされた話です。
地図で見るとこのへん。
確かにこの場所は小高い丘になっており石の階段が付いているものの、通路との間には大きな段差が設けられており、通常登ろうとは思えないようになっています。
また、塚の頂上あたりを見やってみると木が生い茂り、少し不気味な感じもします。
ネット上での情報
ネット上にも同じような噂が散見されます。
福○岡大学にある登ったら留年するという首塚。何も知らずに登ってしまいました
— ももぞの (@mio2534kiya) August 27, 2019
たどることのできた最古のネット上の記述は、アンサイクロペディアの「福岡大学」の項です。
2009年4月21日の更新で「福大の都市伝説」という章が追加されており、
と書かれています。
https://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E5%A4%A7%E5%AD%A6
アンサイクロペディアに「福岡大学」のページができたのは2009年2月4日であり、ページの新規制作からほどなくして都市伝説の記述が加えられていることから、少なくともこの時期より前からこの都市伝説が十分に学生の間で認知されていたと考えられます。
(ちなみにアンサイクロペディアと似たようなサイトのchakurikiの「福岡大学」のページには、都市伝説の記述はない。)
学生課職員からの情報
「福岡大学ブランディングプロジェクト」というFacebookのアカウントの投稿によると、この塚には「幽霊が出る」という噂もあるとのこと。
さらにこのアカウントの運営者は学生課に情報収集に行ってみたようです。
後ろから年配の職員の方がいらっしゃって驚くべき一言を言い放ちました。。。
職員B『ちょっとまって、あそこは首塚だったみたいだよ。昔ここらへんいったい池があってねえ、あの塚だけは壊さずにとってるんだよ。首塚だから壊すと縁起悪いでしょ。あそこ今でもでるよ。。。』
この職員とのやりとり自体の存在について、真偽はわかりません。
しかし、もし本当にあったやりとりだとすると、少なくとも2013年時点で職員も認知するような噂となっている、ということです。
職員さんの発言に関して考察
職員さんの「昔ここらへんいったい池があってねえ」という発言。
確かに福岡大学周辺には池が多く、大学は度々埋め立て工事を行い敷地を広げてきました。
そのことは学校の創立50周年を記念して作られた歌『七隈グラフィティ』の歌詞からも理解できます。*1
ブラスの響く雨の夕暮れ
弓掛池から仲間の寮へ
という歌詞。
現在の福岡大学には弓掛池という池は存在しません。
埋め立てられており、その上に現在は総合体育館が建設されています。
また烏帽子池という池には直線的な縁があり、埋め立てが行われたことをうかがい知ることができます。
そのように干拓・埋め立てなど工事を繰り返してきた経緯を前提として、あの塚が周りの平地や建物から不自然に取り残されていることを考えると、何らかの理由があり、開発が放置されているようにも考えられます。
実際に幽霊見た人いるの?
そのように噂の絶えない塚ですが、僕の周りでは実際にこの塚に登ったことが原因で留年したと主張する人や、そのような人を知っている人、この塚の周囲で心霊現象に遭ったという人はいません。
また、ネット上にも直接的にそのような体験をしたという書き込みは見当たらず、全て噂の範疇を出ないものでした。
もちろん首塚に呪われて留年することなどありえませんから、もしそのような主張をしている人がいるならば「あの塚に登って騒ぐような人間は、授業も真面目に受けず留年しやすい」というだけのことなのだと思います。
(余談ですが)本当の首塚のお話
噂の域を出ない首塚のお話ですが、福岡大学の周辺には実際に人間の体を祀っているとされる場所があります。
それが七隈の菊池神社です。
菊池神社とは
菊池神社は南北朝時代の武将である菊池氏に由来するとされます。
菊池氏は現在の熊本に根拠地があり、後醍醐天皇の倒幕運動に加わったことで知られています。
菊池神社という神社は熊本県菊池市にもあり、こちらのほうが格が高そう(適当)
そんな菊池氏を祀る神社がなぜ七隈にあるのでしょうか?
菊池武時の悲劇
鎌倉幕府討滅に乗り出した後醍醐天皇の呼びかけに応じて挙兵した菊池氏の当主・菊池武時ですが、戦死してしまったようです。
馬に乗ったまま亡くなった彼は六本松付近で首が落ち、七隈でその胴体が落ちたとされています。
その胴体を祀ったのが七隈の菊池神社ということです。
www.crossroadfukuoka.jp
首塚の意外な正体??
ここまで首塚について書いてきましたが、Twitterで気になる投稿を発見。
逆にポケストップ探した、
— うおの (@taconegidon) July 26, 2016
留年するといういわくつきの首塚 pic.twitter.com/p1IBZWhZ0X
なんとこの場所がポケストップに登録されているというのです。
しかもタイトルは「国旗掲揚堂」
全然首塚ちゃうやんけ!
思いっきり、登った上に立ってる石碑に書いてますやん!
まとめ
留年や心霊現象で噂の、謎の塚は首塚でもなんでもなく、国旗掲揚堂だったらしいです。
(もちろん、首塚だった場所に国旗掲揚堂が立ち、その掲揚堂も取り壊されたとも考えられる)
首塚で有名なのは「平将門の首塚」ですが、あちらは死者も出ているとの噂ですし、もし本当に首塚で呪いが存在するのだとしても、留年で済ませてくれる優しい人が葬られているのかなあと、考えたりします。
visit-chiyoda.tokyo
今回は取材ゼロ、ネットの情報と自分の体験を元に書いたので、もっと詳しく調べてみると面白いかもしれません。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました!
*1:『七隈グラフィティ』の前奏部分は講義ごとのチャイムとして用いられています